竹芝にある廃橋(歩行者専用橋)についての考察

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竹芝(日の出桟橋の隣)には、封鎖されていて通ることのできない歩行者専用橋があります。自転車で走っていたら見つけたので、この廃橋が存在する理由を調べてみました。(この橋が言及されているところ (東京の橋:名称不詳橋))

その他の写真はここに置いておきました

まず、場所はここです。

この、横に張り出した細い橋です。すぐ隣に橋があるのに、こんなところにわざわざ歩道橋があるっておかしくないですか?
見たところ、そこまで古いものではありません。

銘板には「1986年3月 東京都建造 平島建設工業株式会社(?)」とあります。命名はされていないようなので、仮に「古川歩道橋」と名づけます。
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全景

手前にはアクセスできる道が有ります。道路とは大きな段差があって、手前右側のフェンスに扉が有ります。当時からそちら側から抜ける感じになっていたのかもしれません。
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写真右側には「東京都東京湾管理事務所」、そのさらに先には日の出客船ターミナルと、日の出桟橋の倉庫が有ります。

最初に、今回の調査に利用したページです。

国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスというものがあります。これは戦前の日本陸軍や、戦後の米軍、国土地理院などが撮影した空中写真を一括して閲覧できるサービスで、昔のことについて調べるのにとても便利です。

毎日新聞の昭和毎日では、昭和31年の東京の地図を閲覧することができます。

昔の地図を見てみたところ、現在新浜崎橋(歩道橋の左側にある、上にゆりかもめが走っている橋)がある場所には、「古川可動橋」(芝浦跳開橋とも言われた)という可動橋がかかっていて、なんと、その上を鉄道が走っていたようなのです。その名は
「東京都港湾局専用線 日の出線・芝浦線」  …なるほど。

東京都港湾局専用線は、日の出埠頭への貨物を輸送するために戦前に作られました。今でも「晴海橋梁」という、大きな橋が残っています。詳しくはたくさんの情報があるので、検索してみてください。都心に残る貨物線の遺構。とても素敵です。

簡単に調べた内容で年表を作ってみました。

これより、この歩道橋は新浜崎橋が完成するまでの7年間だけ使用されたものだと考えられます。

この情報から、私の予想は、「晩年の古川可動橋には歩道があって、撤去するにあたって不便が生じるので、一時的に使用される歩道橋を建設した」です。前半の「古川可動橋には歩道があった」には根拠はありません。少なくとも写真を見る限り、初期の古川可動橋には歩道はなかったとみられます。もっとも、広い橋ではないので、歩道をつける余裕があったのかは極めて微妙です。浜崎橋まで回ればいいのに…

(↓クリックで拡大)

1972年1月の日の出桟橋付近(提供 国土地理院)

1972年1月(提供 国土地理院)

1988年1月(提供 国土地理院)

1988年1月(提供 国土地理院)

調べた内容は以上です。もしなにかご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

追記:
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そういえば、こんな管が併設されてるんですよね。歩道橋が残っているのは、この管を維持するためかもしれません。撤去コストの問題が大きい気もしますが。そもそも、短期間のために、さして遠回りにもならないのに橋を作ったのは、これが必要だったからかもしれません。

これはなんでしょうね…下水道ではないことを下水道台帳で確認したので、上水道でしょうか?

日の出桟橋の専用線(2)

1975年の写真を見つけました! やはり幅は単線一本分なので、廃線になってから人道橋として改造(あり得なさそう)でもされない限り、人が通るのは不可能そうです。廃線になって周囲を開発する上で、この上水道(?)を通す必要があって作ったんでしょうかね?

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